1958-08-11 第29回国会 参議院 社会労働委員会 閉会後第2号
ところで本月の、八月六日に広島の平和祭が行われ、こえて九日には、長崎におきまする原爆記念日が執行されました。
ところで本月の、八月六日に広島の平和祭が行われ、こえて九日には、長崎におきまする原爆記念日が執行されました。
最近の具体的な平和運動の状況としては、世界平和集会日本準備会の呼びかけに基づいて原水爆禁止、アジア安全保障、軍事基地、再軍備反対、憲法擁護、経済、文化交流問題など、国際緊張緩和のための当面の運動を展開することを主眼として、去る六月二十五日から八月十五日までの間平和月間が実施され、その運動は八月六日、八月九日の両原爆記念日乃至八月十五日の終戦記念日を頂点として全国的に盛り上り、八月二十九日の東京関西両平和祭
○証人(北小路昂君) 私が申しましたのは、昨年の夏全関西平和祭が大阪で開かれたときに、PTAの主催で希聖者約百五十人が区民と自由に参加しておるということを申したのであります。勿論その催した中に海水浴の行事もありました。或いは又平和祭そのものの会場において歌とか踊りとかそういう余興もありました。
○剱木亨弘君 それではあなたは生徒が平和祭に参加をしたというのは、水泳とかレクリエーシヨンのために行つたのであつて、たまたま平和祭があつたからそこに寄つたというようなことをおつしやつたと思いますが、山本氏のこれによりますと、はつきりと生徒が平和祭に行つたということが、殆んどそれ自体が目的のように掲げてあります。
われわれは片寄つた教育を受けてはいない、片寄つた教育をしているのはむしろこの学校以外の学校であると言い、あるいは赤とは正しいことを正直に言うことであると言つたり、さらにまた学校新聞においては、国会を見学した感想文に、いなかまわりの大根役者やばくち打などが集まつて、万才や茶番劇をやつているとか、靖国神社に行つた感想としては、幾多の戦争犠牲者がペテンにかかつて死んで行つた無名戦士の墓であるとか、大阪の平和祭
あるいは平和祭に百五十名から参加したのも、生徒のリクリエーシヨンとして父兄会もこれを認めて、海水浴を兼ねて行つたのだ。しかし他の学校も非常に参加者が多いということも認めていただきたい、と言つております。
それから平和祭に参加したということが具体的事例にありますが、これはPTAの補導部が決議をしまして、夏ですから子供が浜寺の海水浴場に行く。実は大阪で平和祭大会があり、いろいろ舞踊や歌があるようだから、リクリエーシヨンとして帰りに先生が責任を持つてそれを見せて来てくれというPTAの決議でやつたことが明らかになりました。水かけ論じやございません。
学芸会のごときも学芸会と言わずに、平和祭と申しまして、アカハタに掲載されておるとか申しますが、私はあまりアカハタは読んでおりませんが、山城物語というような劇を好んで演出をする。あるいは前進座が中標津に参りますと、午前中に授業を打切つて、三十町もある上武佐駅まで生徒を引率して、それから汽車に乗つて観劇をさせておる。映画でも「きけわだつみのこえ」というようなものでなければ絶対に見せに行かせない。
再々質問した事項でありますが、例のブカレストの青年学生の平和祭に出席するために、多数の若い諸君がしびれを切らして待つておる。これと関連しまして、一体パスポートを出すか出さぬかということをお尋ねしましたところ、まだはつきり出すともおつしやらなければ、まだはつきり出さないとも明言はされていない。しかし二日から始まつておりますから、この機会に出すなら出す、出さぬなら出さぬとはつきり御答弁を願いたい。
先ほどから伺いますと今回ポポロ劇に入つたということが論議されていますが、この問題につきましては、以前にも名称は劇ではない平和祭というのが、文献はございませんが昨年八月に行われたのであります。文京平和祭と記憶いたします。
○福田委員長 太田君に申し上げますが、平和祭というのは講和会議が終了、締結した調印日をもつて平和記念日あるいは平和祭というものを設置することに、実は委員会ではすでにきまつているわけであります。
從いまして春の四月の十五、十六日、こういうのは、特に二日間をば平和祭という名前でもつて、この期間には、あるいはお祭りをするだろう、あるいはまた観光に志される方もあろうし、そのときに体育をされてもよいし、それこそ通俗の言葉で申しますお花見をしてもよい、とにかく春を十分ここで樂しんでいただきたい。こういうところでまとめたわけなんです。
二十一平和祭、平和記念日、月日未定。それから「主として民間の意見を調査するためにとつた措置」という項目がありますが、そこでは第一に、新聞及びラジオ放——これは新聞にも載せて、ラジオのスポツトニュースで意見があるならば、総理廳審議室に投書してくれということを言つております。それから輿論調査、あとで簡單に申し上げます。それから十二枚目のところに参考資料というものがございます。
たとえば、去る十一月三日は新日本建設國民運動、憲法普及會、あるいは民主政治教育連盟等で、これを平和祭と呼んで、全國的に平和主義の思想を宣傳したのでありました。これは別に祝祭日にするとかいうようなわけではないのでありますが、そういうように新しい日本の發展とともに、祝祭というものも考え直すというお考えについては、理由のあることと私は存じてあります。
過般十一月三日政府が主催いたしました平和祭に、私も組合代表として演説もし、片山總理の御意見も伺いましたが、日本の平和再建をなす基盤となるものは、やはり文化の問題であり、教育の問題であると考えるのであります。しかもこういう困難なる經濟情勢下における日本においてこそ、賠償問題を事前に控えまして、特に教育關係の豫算を多く盛りこんで、文化的な國家としての再出發を世界に示すべきであると考えるのであります。
なお廣島の平和祭に列席しました際には、廣島縣の福山市、尾道市、三原市、呉市等では、市の主催で國民運動の講演會が開かれましたし、また一昨日は千葉縣の東金、成東、片貝等の町の主催で國民運動の講演會があつつて、私も出席をいたしまして趣旨を説明したような次第であります。實はかようにしてこの運動が國民の間から起こつてくることを、私どもは期待しております。